イタリア語から日本語への簡訳は こんな 感じになりました。  どう de しょう?

Ciao a tutti !



それでは 昨日のイタリア語 旅人は どんなふうに日本語にしてみましたか?
よろしかったら これ いかが de しょう  フロレンティア55の簡訳です。

意味はわかるんだけど それを 普通の日本語に するっていうのが 結構 難しいですよね。

FORZA !   頑張れ !  



I Chille, che lavorano quest’anno su Kafka, propongono una serata-evento con parole ed immagini liberamente
riferite allo scrittore praghese ed al suo mondo:

tra Milena Jesenská ed Ottla, sorella minore tanto amata da Franz
che non ebbe la sventura di conoscere la Shoah, come accadde a chi ne accompagnò l’esistenza.

今年のテーマは カフカ THE CHILLEがプラハ出身の作家カフカの世界を言葉と映像を自由に駆逐して開催する夕べです。    

ミレーナ イェセンスカと カフカが晩年特に信頼していた妹 オットラの間で:
彼女たちはその時代を生きたユダヤ人を待ち構えていた不幸な運命に逆らうことができなかった。



La Jesenska, forse il più importante amore di Kafka che le dedicò appassionate lettere tra il 1920 e il 1923,

fu una giornalista/femminista dei primi del '900, comunista anti-stalinista. Morì nel campo di concentramento femminile
di Ravensbrűck, l’enfer des femmes.

カフカの大切な恋人だったイェセンスカは 1920年から1923年 カフカから情熱的なラブレターを捧げられた。
ジャーナリストであり 900年代初めのフェミニスタ、また反スターリン派だった彼女。
ラーフェンスブリュック強制収容所女性棟にて持病の腎臓病化膿のため亡くなりました。

Ottla Kafka morì ad Auschwitz, seguendo alcuni bambini, ma fu internata, nel campo di Terezin,
dove furono rinchiusi molti artisti ebrei:

in questo lager Hitler fece realizzare filmati edulcoranti sulla vita nei campi di concentramento,
video che sarà proposto nella serata sansalvina.


アウシュビッツで亡くなる オットラ カフカは アウシュビッツへ連れて行かれる子供たちの付き添いとして、
その地に出向くことになり その後 アウシュビッツで死を迎えます。
多くのユダヤ人音楽家たちが収容されていたテレゼィン収容所から強制移動させられるときです。

その時ヒットラーが記録として制作されたビデオが 今夜のサンサルビの夕べで 上映されます。



YOUTUBEから 昨日のFACEBOOK それは それは 様々なメッセージが 届きました デス。



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by florentia55 | 2012-01-28 23:08 | イタリア語

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